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自己紹介(6)- 高校生のころ(上)

そんなこんなで、高校受験も終わって、その後の僕は加古川東高校という市内の進学校に通うことになる。高校時代の思い出は中学時代以上にろくなことがない。ほとんど割愛しますが、とにかく周りが優秀過ぎた。1年生のとき、数Iの授業がまったくわからなくなった。先生の話を聞いているのにわからない。わからないのに先生は次のページへ進んでいく。中学時代にそんな経験をしたことがなかったので戸惑った僕は、後ろの席に座っていたナカタくんに「先生の言うこと、わかる?」と振り返って聞いてみた。そうすると、「ん?」と顔を上げたナカタくんが開いていた教科書は、その授業よりも20ページほど進んでいた。僕が先生の解説を聞いても理解できていないのに、彼は先生の解説も聞かずに理解して先に進んでいる!得意分野だからという理由だけで勉強をがんばっていた僕は、このとき勉強することをやめてしまった。

 

(ちなみに、後から知ったがナカタくんは超優秀な学生で、全国模試でも上位に名前が載るような人だったらしい。卒業後は東大に行ったと誰かに聞いたそんなことも知らずにナカタくんの学力がこの高校の平均だと思ってしまった僕は、そこで勉強する気を失ってしまった)

 

ギターを弾きたい僕は軽音楽部に入部してみたものの、なんとなく空気が合わずに1か月で退部。それから帰宅部になった。それからは帰宅後プレステで「実況!パワフルプロ野球」をする日々。不毛な日々が始まった。

 

高1の5月にhideが死んだ。hide with spread beaver のROCKET DIVEを聴いて、好きになった直後のことだった。軽音楽部をやめた僕は、『バンドやろうぜ!』などの雑誌でメンバーを募集したり応募したりして、自分でバンドをやることになった。LUNA SEAのコピーバンドで、姫路のライブハウスで演奏したりした。そのあたりは楽しい時期だったかもしれない。バンドはその後、解散したり新しく組んだりで大学2回生まで続けるものの、自分のギターは特にうまくもならなかったのでやめた。音楽のセンスもなかったし、バンドがやりたいというよりは単に目立ちたいだけだったことに大人になってから気がついた。

 

高校生の頃は、周りはみんないいやつで、努力していて、それに比べて自分は相当ダメだった。そんなダメな自分から目を背けたかったので余計に努力をせず、さらにダメになっていった。本当にもったいない時間の過ごし方をして落ちるところまで落ちたが、あるきっかけがあり3年生の夏から勉強を始め、なんとかセンター試験で高得点が取れた(800点満点で682点)。

 

その頃の自分は本当に頭が悪いなあと思うが、とにかく東京にあこがれがあった。自分の点数でいけそうな範囲で安い学生寮がある東京の大学ということで、前期試験で東京学芸大学を受験した。教員になるための大学らしいけど、教員になりたかったわけではない。毎月3,000円の家賃で東京に住めるから行きたかっただけだ。

 

センター試験後に「この点数なら受かるやろ」と先生に言われた僕は十分に満足し、慢心したので勉強をやめ、ドラクエを始めた。その当然の結果として、東京学芸大学の試験に落ちた。

この記事の投稿者:

山本健介 1983年兵庫県加古川市生まれ。現在は大阪市城東区で税理士事務所を開業しています。税理士業界で10年以上、中小企業から上場企業まで会計・税務のお手伝いをしてきました。国際資格の専門校アビタス非常勤講師(USCPAコース担当)。米国公認会計士。お笑い好き。サッカー日本代表を応援しています。中国語勉強中。

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