こんな感じで陸上部ではダメダメだった僕は、自分の得意分野に逃げた。その頃の得意分野は勉強だった。
中1の6月にあった1学期中間テスト。中学生になって初めての定期テストだ。1学年は9クラスで1クラスは約40人。約360人の生徒が学力で順位付けされる。小学生の頃に塾など行っていなかった僕にとっては、初めての経験だった。
結果から言うと、意外によかった。13位くらいだったと思う。英語のテストで自分の名前をYamamoto Kensukoと書いたのにだ。中1の1学期中間テストの英語なんて、アルファベットを大文字で書け、小文字で書け、自分の名前を書け、This is a pen.くらいのものだ。全員が100点を取る試験だ。そんな試験で僕は自分の名前を女子っぽくしてしまったために、99点だった。それでも13位。このことで自分は意外に上の方にいるぞ、と自信を得たのだと思う。たしか、その次の1学期の期末テストで2位になった。国語・数学・英語・理科・社会の5科目500点満点で474点だ。25年後の今、四半世紀たってもまだ覚えている。よほど嬉しかったのだろう。ちなみに1位はミナカタさんという、同じ公文式の教室に通っていた女子だった。そのとき彼女は481点だったと思う。中学時代の3年間を通して1度も彼女を上回ったことはないように記憶している。彼女は今どうしているだろうか。国連とかで働いていても特に不思議はない。
一応、恋愛についても書いておこう。ろくな思い出ではない。1年生のときに同じクラスだったHさんという女子を好きになり、3年生の3学期になって告白した。小雨が降る日だった。結果は、食い気味に振られた。食い気味に振られるというのは、「もしよかったら僕と付き合ってください」のフレーズを言い終わる前に「でも私ほかに好きな人がおるねん」と言われたということ。それから、彼女は廊下で僕を見かけると走って逃げるようになった。つらい3学期だった。
中学時代はだいたいそんな感じだ。陸上部では相変わらずで、2年生になると自分より速い1年生もたくさん出てくる。あまりに遅いので男子のなかで僕だけ女子と一緒に走らされた日もあった。ちなみに、その陸上部の2学年の上の女子でホリエ先輩という人がいた。ホリエ先輩は後に北海道マラソンを優勝し、高橋尚子さんなどを育てた小出監督の秘蔵っ子と言われ、北京オリンピックを目指したが惜しくも届かなかった。もちろん当時から僕より足が速かった。
中学2年生のときにイノウエくんという男子と仲が良くなった。彼は音楽が好きで、後にインディーズバンドのボーカルとしてCDを出すことにもなる。そんな彼は、僕にMr. Childrenと小沢健二を教えてくれた。その頃から近所のTSUTAYAに行ってCDレンタルをよくするようになった。たまたまその頃実家が契約してくれていたCSのMTVやスペースシャワーTVもよく見るようになった。そこで、thee michelle gun elephantやBlanky Jet City、黒夢に出会った。3分で人生を変える音楽に出会うことを「3分ロック」というらしいけど、thee michelle gun elephantのバードメンを聴いたときの自分はまさにそんな感じだった。3年生のとき、両親にギターを買いたいと言うと、高校受験が終わってからでもいいんじゃないかというので、その日から毎日勉強せずに、普段したこともないのに釣り竿をもって加古川へ出かけた。何もする気が起きなかった。すると1週間後にギターを買うことを許可してくれた。加古川駅前の楽器屋で買った18,000円のアコースティックギターが人生で初めてのギターだった。