そんな感じの僕でしたが、大学1回生のときはESSと同時に軽音楽部にも所属していた。まだギターが弾きたかったし、プロのミュージシャンになりたいとも思っていたが、それに見合う努力をしていたとは思えない。軽音楽部では何をしたんだろう…hide、イエモン、ラルクなどを演奏した気がするがあまり覚えていない。あまり楽しくなかったので1年で辞めてしまった。その後、高校時代に仲が良かったナカタニくんとthee michelle gun elephantのコピーバンドを組んだが、3回生のときに僕はアメリカ、彼はスウェーデンへ留学することになり、解散してしまった。それ以降ギターは弾いていない。
神戸商科大学のキャンパス内は当時ほとんどが日本人だったが、外国人も何人かいた。中国人が最も多かったがアメリカ人もいて、そのうちのひとりはマイクといった。彼は提携先のエバーグリーン大学からの交換留学生で、とてもいいやつだった。彼と遊んでいるうちにアメリカに行ってみたくなった僕は、TOEFLというテストを受けて2回目で基準点を超え、面接も通って3回生のときにエバーグリーン大学へ1年間交換留学をさせてもらえることになった。
TOEFLというテストはそのときの僕にとってとても難しく、最初のチャレンジでは基準点を上回ることができなかった。留学生選考の申込期限まであと3週間、TOEFLを受けられるチャンスはあと1回、もう無理なのかな、と弱気になっていたら珍しく父が励ましてくれた。そのときまで僕が1年アメリカへ留学することに賛成なのか反対なのかよくわからない父だったが、「あと少しのところで今サボったら、一生後悔するぞ!」と言ってくれた。それで目が覚めた。それから3週間、電車の中で立ちながらでも問題集を解いた。そうすると、幸運なことに1回目の試験に出たのと同じ長文問題が2回目でも出て、なんとか基準点を上回ることができた。また、交換留学生に選ばれたのはもうひとつ幸運が重なった。交換留学生は2人選ばれるのだけれど、僕が申し込んだ年の前年は応募者が10人、僕らの次の年も10人いたらしいが、僕らの年は応募者が3人だけだった。しかも、その3人のうちの1人はTOEFLの基準点に達していないのに申し込んでいた。面接前から決まっていたようなものだった。
そのようなラッキーな経緯で2回生の終わりに交換留学生になることが決まり、3回生の9月から4回生の6月まで、ワシントン州の州都オリンピアにあるエバーグリーン大学に留学していた。オリンピアというのは同じワシントン州にあるシアトルから車で南に2時間、シアトルと比べると小さな町で、エバーグリーン大学はその町の森の中にある大学だった。僕はその大学敷地内にある寮に入り、アメリカ人の大学生3人と一緒に共同生活が始まった。
苦労してTOEFLを受け幸運も重なって手に入れたせっかくのアメリカ生活だったのだけれど、留学時代を振り返ると後悔の方が大きいかもしれない。ずっと遊んでいたような気がする。周りの日本人学生が親切で、また交換教員として前年にエバーグリーン大学から神戸商科大学に来ていたステファニーとその夫のジェームスも親切でいろいろな場所に連れて行ってくれた。カヤックにも行ったし、オレゴン州のポートランドにも連れて行ってくれた。滞在中も家に呼んでくださったりして、本当に感謝しかない。また、ルームメイトも食事に連れていったりしてくれた。
ひとつ大きく後悔しているのは、留学前にしっかりと英語を勉強しておくべきだった、ということだ。アメリカに住んでいれば英語が話せるようになるだろうと当時思っていて、実際その通りだったけれど、話せるようになった頃にはもう日本に帰る時期だった。話せるようになった状態で留学をスタートさせていたらもっと楽しかっただろうなと思う。