そんなわけで僕は、神戸商科大学の学生になった。神戸商科大学は神戸市西区の山の上にある学部がひとつしかない小さな大学だった。その学部は商経学部といって、経済学科、経営学科、管理学科、国際商学科の4つの学科から構成されていた。ちなみに僕が3回生のときに姫路工業大学、明石看護大学との合併が決まり、次の年から兵庫県立大学に名前が変わった。つまり、卒業前に我が母校がなくなってしまったということだ。
大学時代については、まずハギハラのことを書いておきたい。今まで友人や登場人物には「くん」「さん」を付けてきたが、ハギハラのことを「くん」「さん」を付けて呼ぶのも不自然なので呼び捨てで進めさせてもらう。呼び捨てだからと言って嫌いだとか苦手だとかそういうことではなく、むしろ慎重で臆病な性格の僕が呼び捨てにできるくらい親しみを感じていると解釈してほしい。
ハギハラは大学時代の僕にとってまさに「リーダー=Leader(導く人)」だった。そもそも彼とは中学・高校・大学と同じで、中3のときに初めて同じクラスになったがそのときは特に親しくもなかった。その1年で一度も会話した記憶がない。サッカー部だということ以外何も知らなかった。ただ、高校受験のときに、受験当日彼は僕のひとつ前の席に座っていて、そのとき初めて同じ高校を受験するのだと知った。一応その高校は名の通った進学校だったので、「勉強できる人なんや」と思ったが、後から聞くとその高校を選んだ理由は家からいちばん近いかららしい。スラムダンクの流川のような理由で市内トップの進学校に通う彼はカッコよかった。
その後、高2でも同じクラスになった彼と、大学の入学式当日に再会することになる。高3でクラスが違ったこともあり、お互いに同じ大学に入学していたことを知らなった。ちなみに大学生になった僕はというと、大学に入ることを目標に受験勉強をして、その後は後期試験を受けなくていいという理由で選んだ大学だったので、大学で何をしようという計画も目標もなかった。いまだに誰かにレールを弾いてもらわないとどこを走ればいいのかわからなかったし、それ以外の人生があるかどうかを考えたこともなかった。一方でハギハラは自分の中にやりたいことがあったようで、ESSに僕を誘ってくれた。ESSというのは簡単に言うとみんなで英語を話したいという人の集まりだ。当時、神戸商大のESSには2回生から4回生までがおらず、ほぼ休部状態だったようだ。それをハギハラや同じくESSに参加したい国際商学科の学生で復活させていて、ハギハラはその部長となり部員を募集しているところだった。
あの頃、ハギハラ自身は空手部にも所属していた。またほかのESS部員も柔道部、スキー部、陸上部などと兼部しており、僕自身も軽音楽部と兼部していた。部員のほとんどが片手間のような形で参加している中で、ともすればバラバラになりそうなものだが、それをまとめて部活動として成立させていたハギハラはすごいと思う。今になって思う。当時はよくわかっていなかった。
ほか、TOEICというものを教えてくれたのもハギハラだし、神戸商大にアメリカやオーストラリアの大学と交換留学の制度があることを教えてくれたのもハギハラだった。彼は僕の大学生活にいろいろと目標を与えてくれた。ありがとう。そんな彼は卒業後、商社に勤務してアメリカやヨーロッパに駐在した後、今は関西で責任ある役職に就いています。立派なもんです。