「お前ら、陸上部やめろ。やめへんかったらBチームに落とす」
大人って勝手だなぁ、自分たちの都合で子どもたちを振り回す。そこで僕がどちらを選んだかというと、迷いなく陸上部を選んだ。というのも、その年の冬のマラソン大会で僕は5年生の部優勝、陸上部として大阪まで遠征して参加した駅伝大会ではアンカーとして2位でタスキを受け、2分差をひっくり返して逆転優勝&区間賞という活躍をしていたのだ(ちなみに、このときは相手チームアンカーのタイムがめちゃくちゃ遅くて、イシゲ先生から「誰がアンカーで走っていても結果は同じやったな」とくぎを刺された)。
そんなわけで僕は6年生からBチームになった。陸上部を選んでBチームに落ちたのは僕ともう一人、1学年下のキョウヘイだけだった。キョウヘイは名字をノギタといい、みんなからのび太といじられていた。でも決していじめられるようなキャラではなく、明るくていいやつ。僕が6年生のときの1年間、キョウヘイとはけっこう仲が良かった。
小学生の頃、僕と同学年にダイスケとシンスケがおり、僕はケンスケで名前が似ているせいか1年生の頃からよく比較されていた。ダイスケはソフトボールチームのエースで4番。小学生の頃から体力測定のソフトボール投げでは70mを投げ、その後中学時代にも野球部のエースで完全試合を達成し全校集会で表彰されるようなやつ。彼はその後甲子園にもエースとして出ました。シンスケは監督の次男で、監督の厳しい指導のもと毎日ソフトボール漬けのような子。2学年の上の長男ヒデヤくんも同じソフトボールチームの元エース。英才教育ですね。ヒデヤくん今はどうしてるんだろう。
その2人に比べると、僕なんて打率1割台のひ弱などうしようもない小学生。その頃、夏休みになると地区のグラウンドで朝6時30分からラジオ体操があり、ちゃんと参加した証拠として子どもたちはカレンダーになっているカードにハンコを押してもらうのだけれど、そのハンコを押すのがその年の6年生の役割だった。やはりケンスケに比べるとダイスケ、シンスケは人気者で、ラジオ体操が終わると下級生たちはダイスケとシンスケの前に行列を作るのだけれど、なぜか「今年はケンちゃんのハンコで全部の日を埋めるねん!」と言って毎日真っ先に僕のハンコをもらいに来てくれたのがキョウヘイだった。あれは何のノリだったのだろう。でもそんなキョウヘイのノリのおかげで「今日はケンちゃんにしようかな」といって来てくれるほかの下級生も毎日少しずついたので、みじめな思いをせずにすみました。今思い出してもキョウヘイには感謝しかない。キョウヘイ、今更やけどありがとう。今どこにいるんだろう。
そんなキョウヘイと僕だけBチームに落とされて、小学校1~4年生の子たちとソフトボールをすることになった。キョウヘイは5年生で3番、僕は唯一の6年生なので4番。キョウヘイはAチームでも普通に打っていた選手なので、Bチームでも打ちまくりの大活躍。僕はというと、もうセンスないとしか考えられないのだけど、低学年の子たちとソフトボールしても、全然打てないの。そもそもバット振る筋力なかったのかな。4番の僕以外先発全員安打という試合もありました。ちなみにBチームはノヅさんという優しいコーチが監督をされていたので、どれだけ打てなくても6年生のメンツを気遣ってくれたのか、僕はずっと4番でした。
そんな僕にバレンタインのチョコレートをくれた女子がいる。同じクラスのケイコちゃんという女の子だった。